甘地

甘地の歴史

兵庫県神崎郡市川町、甘地(あまじ)。
市川の西岸、播但線の駅がある旧甘地村の玄関口。
四百年の獅子が、いまも舞う村。

地名——川の西の郷

古代の神崎郡は、平安時代の末ごろ、市川を境に東西ふたつの郡に分かれました。川の東が神東郡、西が神西郡——甘地は西側、神西郡の村です。中世には「甘地郷」と呼ばれ、永良庄と並び称される神西郡の有力な郷でした。東岸の鶴居や瀬加とは、川をはさんで向かい合う歴史を歩んできました。

百軒の家並みと、高瀬舟

江戸時代の甘地村は、一貫して姫路藩の領地でした。正保の郷帳には田方482石余・畑方83石余、天保の郷帳では713石余。宝暦13年(1763年)には村の甚左衛門が高瀬舟2艘をもち、市川の流れで飾万津(姫路の港)まで荷を運んでいました。享和2年(1802年)にここを通った旅人・菱屋平七は「あまぢ、人家五丁計りの間に百軒計り、終りに茶屋あり」と書き残しています——街道すじに百軒の家が並び、茶屋が旅人を迎える。江戸の甘地は、そんなにぎわいの村でした。

四百年の獅子舞

甘地の獅子舞は、はじまりが四百年以上前にさかのぼると伝わる毛獅子の舞です。獅子は雌獅子。頭はやや小ぶりで、舞は女性的で優美——「鈴の舞」「橋弁慶」など九つの演目が伝わります。兵庫県指定の重要無形民俗文化財で、毎年9月に八幡神社、10月に奥の大歳神社へ奉納されます。昭和55年(1980年)に結成された保存会が、いまも舞を受け継いでいます。

汽笛の来た日

明治27年(1894年)7月、播但鉄道が姫路から寺前まで開通し、甘地に駅ができました。生野の銀を運んだ「銀の馬車道」の物流を、鉄の道が受け継いだのです。いまの木造駅舎は1929年に建てられたもの。駅前公園には、播但線の敷設に力を尽くした内藤利八の顕彰碑が立ち、甘地駅前公園・甘地の清水・甘地の獅子舞は、日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」の構成文化財になっています。

甘地村から市川町へ

明治22年(1889年)、甘地・近平・小谷・千原・谷・奥・坂戸の7か村がひとつになり、甘地村が生まれました。明治29年(1896年)には神東・神西の両郡が再びひとつになって神崎郡に。そして昭和30年(1955年)7月、甘地村は川辺・瀬加・鶴居の3村と合併して市川町となりました。駅前には、パン屋やたこ焼き屋、割烹——汽車を降りた人を迎えてきた店が、いまも明かりをともしています。